2986668 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

turbo717's Activity 

turbo717's Activity 

馬籠から恵那山(早春)

春らんまん-馬篭-恵那山_街道_story(73) 事典の項 修正 2005.3.9(2005.10.25修正  10/23-24 恵那山も初冠雪がありました。この景色は3/9の記事です。事典の項目で、コメントが入りましたので修正しました。)

magome
馬篭-恵那山



本日は、馬篭です。
馬篭は、旧・長野県木曾郡山口村でありましたが、平成17年2月13日(日)に岐阜県・中津川市に合併され、中津川市馬篭になりました。

絵は馬篭の中山道から恵那山(2191m)を望んだ図です。
今日(3月9日)は15度という春爛漫の気温となりました。恵那山は例年になく、雪がすくなく、山頂部分でも樹木がところどころのぞいています。
馬篭宿の今どきは、観光客もすくなく、落ち着いた佇まいで、ゆっくり宿場町を散策することができます。宿場は、100mほどの高低差がある、1kmほどの宿場町となっています。観光客が絵に写っていますが、人通りが少ない様子です。


事典:馬篭、恵那山
馬篭
日本橋を起点にすると、中山道-43番目の宿場にあたります。木曾11宿の内では、最南端の宿場です。昭和40年代に当時そのままに再現。
中山道の江戸から京までの全行程は135里34町余り(540Km弱)。東海道より9里28町余り(40Km強)長い距離でしたが,東海道の川止めを避けて中山道を利用する人も多く,参勤交代の大名,日光例幣使,東下する皇族などにも盛んに利用されました。中山道には69ケ所の宿場が置かれていましたが,そのうち11宿が木曾にあります。
この絵の街道を下ると、十曲峠の歴史古道石畳へ出ます。さらに下り落合川を渡ると、落合宿(中津川市)を経て中津川宿へ向かうことができます。行程約10km。


(馬篭観光協会〒508-0502 岐阜県中津川市馬籠4300-1 )


藤村記念館
明治・ 大正・昭和の三代にわたって活躍した文学者島崎藤村の生家。
明治28年の大火で焼失しましたが、昭和22年、「この地に何か文豪を記念するものを造ろう」と考えた地元住民の勤労奉仕により、建築家谷口吉郎博士設計による藤村記念堂が建てられました。
25年博物館運営のための財団法人藤村記念郷設立。長野県内の児童、生徒、教員の寄付金を受け展示施設藤村記念文庫が完成。藤村の長男楠雄氏より五千点を超える資料の寄贈を受け、昭和27年より文学館として活動を開始し、30年には「島崎藤村宅跡」として県の史跡指定を受けました。(平成17年に岐阜県に移管)
現在は、藤村記念堂、藤村の祖父母の隠居所、ふるさとの部屋(ビデオコーナー)記念文庫(研究室)、第二文庫(企画展示室)、 第三文庫(常設展示室)の建物からなり、『嵐』『夜明け前』などの作品原稿、遺愛品、周辺資料、 明治大正詩書稀覯本コレクションなど約6千点を所蔵しています。
常設展示室には処女詩集『若菜集』から絶筆『東方の門』までを展示、 終焉の地、神奈川県大磯町の書斎を復元してあります。一巡すると藤村の生涯をたどることが出来ます。


清水屋資料館
街道に面した原家です。島崎家と関係の深かった原家、藤村からの書簡他関係書類などを展示。清水屋は島崎藤村の作品「嵐」にでてくる「森さん」こと原一平の家です。この清水屋には藤村の書簡、掛軸、写真などをはじめ、江戸時代に宿場として栄えた頃よりの文書、書画、九谷、伊万里、唐津などの陶磁器、輪島の漆器類をはじめ宿場「馬籠」の生活文化史ともいえる数々の遺品が2階の資料館に展示してあります。機械文明の流れの中にある今日、遠い昔の私たちの先祖が残してくれた素朴なふるさとの心に深い郷愁を感じます。


脇本陣資料館
馬篭宿の脇本陣降谷家の後に建てた資料館です。



恵那山(2191m、三角点は2189.8m
恵那の由来:天照大神(あまてらすおおみかみ)の胞衣(えな)を収めたとの伝説があります。
濃尾平野の広い範囲からその美しい姿を望むことが出来きます。恵那山はゆったりとした山容で、麓にいる人をやさしく励ますように存在しています。
新緑は5月初旬から。紅葉は10月中旬。

日本百名山の登山ルート
・【黒井沢ルート】この絵の右奥のルートです。 国道19号線の中津川大橋脇交差点を363号線の方向に東側に5kmの川上(かおれ)で中津川沿いに10km。→黒井沢登山口(2000年9月の豪雨で崩落したため通行できませんでしたが、2004年夏から通れるようになりました)―野熊ノ池―山頂避難小屋―恵那山―山頂避難小屋-山頂へ。

・【神坂峠ルート】もっともポピュラーなルートです。絵の左の山稜がそれです。神坂峠(標高1569m)( or 大檜駐車場)→鳥越峠―大判山(1696m)-天狗ナギ-恵那山(6.8Kmのコースです。)

 《神坂峠》昔、京の都と東国を結ぶ官道で東山道最大の難所。現在は長野、岐阜の県境。特別養護老人ホーム、延暦寺広済寮、キャンプ場、強清水を経て神坂峠

・【広河原ルート】この絵の中央奥のルートで、長野県の阿智村から入るコースです。2001年10月開通の新しいルートです。

・【前宮ルート】川上(かおれ)の恵那神社から入る古来のルートです。最終コーナは、この絵の右側の稜線に当たります。伊勢湾台風で壊滅的被害をうけたため廃道になりましたが、2001.10.13に再開されたルートです。恵那山は役行者(えんのぎょうじゃ)によって開山されたという説があります。この前宮ルートにはかつて恵那山が修験道の山だったことを示すいくつかの石像を見ることが出来ます。 すなわち対東沢にある 心明霊神の石碑 、中の小屋跡の 不動明王像 、行者越の 役小角(えんのおづぬ=役行者)石像 などです。藪こぎが楽になりましたが、笹が多く茂るコースとなっています。登り5時間、下り3時間。日帰りの場合は、かなり早い時間に登山口に到着しておく必要があります。


2005.10.25 修正記事・・・
事典にある記事は、下記ホームページの内容を参考にしています。
恵那山に関するホームページ群
 @恵那山
 恵那山ネット



© Rakuten Group, Inc.